長崎原爆資料館・長崎市平和会館を訪れたら子どもの時と感じ方が違った

実は佐賀の後に長崎も旅行しました。子授の神社の参拝目的もあったのですが、行きたかった原爆資料館と平和公園に行くためでもありました。今回は食のことには全然触れていない満福のひとり言です。

この記事を書いた人
満福ちゃん

✔調理技術はいたって普通ぐーたら大好きアラフォー栄養士

✔施設栄養士3年勤務

✔委託給食会社(保育園)12年勤務

✔食に関する体験談を発信中

目次

原爆の投下第一目標だった北九州の小倉

満福は北九州在住。

旅行中に長崎の原爆資料館を訪れようと思ったきっかけは、新しくできた北九州市平和のまちミュージアムに行ったからでした。

北九州市平和のまちミュージアム (kitakyushu-peacemuseum.jp)

そこで見た資料と自分の記憶とが全然違ったことに驚きました。

原子力爆弾の投下第一目標になったのは製鉄所があったからと思っていたが違ったのです。小倉城一帯に大規模な兵器工場があり、資料の地図で見るとそりゃあもうめちゃめちゃでかい。確かにアメリカ側にしたら第一目標だなこれは、と思いました。

小倉から長崎に変更したのは天気が悪かったからと思っていたがこれもちょっと違いました。

前日の八幡大空襲での煙のせいもあったそうです。

戦争の情報や記憶が小さい頃のまま

なぜこんなにも自分の記憶と違っているのかと考えてみた時に学生時代からの原爆の情報がアップデートされていなかったからだと気づきました。アラフォーになって気づくなんて。

小学校の修学旅行先が長崎で、一本足の鳥居や平和公園に行ったりはしてましたが修学旅行という楽しさで「見ただけ」で終わってました。平和記念像は集合写真の背景。

子どもの頃に行った広島の原爆ドームはトラウマ以外なにものでもなく、皮膚がただれた人形が頭にこびりついて離れなかったし怖かった。

原爆は修学旅行の思い出とただ怖いという子どもの記憶のまま今まで生きてきたんです。

うーん、なんだかこのままじゃ終われないなぁという思いから長崎原爆資料館に行こうと決めました。

長崎へ

先に平和公園に行きそれから原爆資料館へ。長崎に行ったのが8月でとにかく暑かった~。熱中症にならないように水を飲みまくる。

原爆殉難者の碑の前に立つとたくさんの水がお供えしてあり鳥肌がたちました。そうだよね、水がほしいって言いながら亡くなっていった人が大勢いるんだよね。私はなんだか水を持ったまま泣けてきてしまいました。

そのあと原爆資料館に行くと一気にアップデートできた気が。グニャグニャの鉄骨。焼けて骨になった人。何にも残ってない一面の焼け野原。熱線と爆風と放射線。大人になった今、戦争がダイレクトに感じ取れた場所でした。

朝鮮から来た人や捕虜になったアメリカの人も被爆していると初めて知る。ほんと知らんかった事ばっかりやん。

この原子力爆弾でアメリカの若い兵士を守り戦争を終わらせることができたというアメリカの新聞記事を読んですごく違和感。まぁ戦争中ですからね、と簡単に思えませんでした。犠牲者の大半は市民なのに?戦争って市民まきこむな~。

考えたくはないけどどこかの国で核兵器を使った後に自分たちのおかげで戦争を終わらることができたと思うのかな。

原爆が小倉に落ちていたら自分は存在していなかった

もし第一目標である小倉に原爆が落ちていたら、自分は存在していない。自分どころか自分の家族、夫、夫の家族、友達という自分の大事な人が存在しないことになる。この住んでる家も好きな場所もないかもしれない。

オタク生活で培った妄想力が働きシンプルに想像するだけで泣きそうになりました。

そしてこれが妄想でも漫画でも映画でもなく現実に広島や長崎に起こったんです。

おいー--!!!もっと早く気づけ自分ー--!!!!!

私は両手を見て、もう自分は十分大事なものを持っていると思いました。その大事なものを大切にしよう。しっくりくる言葉が見つからないがカスカスの頭で考えぬきだした答えは「足るを知る」。うーん、これ合ってるのか不明w。

ひとまず戦争や原爆関係の本を読み漁って古びた情報を更新しています。古びた頭のまま40歳をむかえるわけにはいかないので。

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この記事を書いた人

福岡県在住/夫と二人暮らし/現在不妊治療で仕事お休み中のグータラアラフォー栄養士/食に関するあれこれの体験をつづっています/雰囲気ミニマリスト/ごはん作るより食べる方が好き/イラストかくこと大好き

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